☆「誰よりも特別な俺」編
●「衝突事故は自分でよかった。僕という存在に起きたことで、その危険性を世界に発信し、議論するきっかけになった。また新たな使命をいただけたな」(2015/12/1 家庭画報)
6分間練習は、自分の調整を優先しなければならない時間なんですよね。
中国杯での衝突はそういった緊張感、不安感のなかで起きた事故だと思います。
でも、やはりあの衝突事故は自分でよかったと今は思います。
もちろん、自分の体は怪我をしたし、家族や周りのかたがたには
すごく迷惑をかけましたが、僕という存在に起きたことで、
その危険性を世界に発信し、議論するきっかけになったとも思うんですよね。
また新たな使命をいただけたなと感じてもいます。
●「西日本と東北・東日本というものが自分を通して1つになれる」(2015/9/17 KENJIの部屋)
ttp://www.jsports.co.jp/press/article/N2015091516032106_2.html
その手紙とかをいろいろ読んでたら被災地の方々からエールを受けてて、逆に支えられてるというか。(略)
それが例えば自分が手紙出したからって、僕が直接手紙の分うまくなるわけではないし、結果が
出るとかそういうわけでもない、それでもそういう気持ちが僕を通して1つになれるっていうか。
震災のことでそれぞれ原発のことで悩んだり、津波のことで悩んだり、それこそ地震で家が壊れて
しまって住めなくなった方もたくさんいらっしゃいますし。そういう孤独になった方々も含めて、
西日本と東北・東日本というものが自分を通して1つになれる。一番その頃っていうか今もですけど、
オリンピックで金メダル穫れた時も、嬉しかったなって一番思えるものだと思います。
●「まずここまで和なプログラムを演じられるのは今の日本男子でたぶん僕だけ」(2015/6/12 デイリースポーツ)
ttp://www.daily.co.jp/newsflash/general/2015/06/12/0008117593.shtml
「まずここまで和なプログラムを演じられるのは今の日本男子でたぶん僕だけ。僕だから出せる繊細さ、和の力強さ、線の使い方で、僕らしいプログラムになればと思う」
●「僕のみならず、このチームジャパン全員を応援してください」(2015/3/31 国別対抗戦代表発表記者会見)
●「世界ランクは一番上なので」(2015/3/31 世界国別対抗戦代表発表記者会見)
「世界ランクは一番上なので、みんなを引っ張っていけるような演技ができたら」
●「スケーターとして、一人の人間として特別な人生を歩ませていただいてるんだなって」(2015/3/29 エキシビションでのインタビュー)
「自分は本当になんですかね、まあ本当にスケーターとして、または本当に一般の、一人の人間としてこうやって特別な人生を歩ませていただいてるんだなっていうふうに思いました」
●「地方大会で下の順位を争っている選手なら、こういうニュースにはならなかった」「特別な存在だと思った」(2015/3/29 サンスポ)
ttp://www.sanspo.com/sports/news/20150329/fgr15032913410012-n1.html
--中国杯の事故に対する反応について
「僕がテレビに出ていなくて、地方大会で下の順位を争っている選手なら、こういうニュースにはならなかった。僕(の立場)だからこそサポートを受けられて、心配もしてくれた。衝突事故は命にかかわるようなことだと(周囲が)考えてくれた。恵まれている。特別な存在だと思った」
●「僕は本当に特別なんだと思った」(2015/3/29 スポニチ)
ttp://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/03/29/kiji/K20150329010075980.html
一番苦しかったことに、練習で他選手と激突した昨年11月の中国杯での負傷を挙げた。「僕は本当に特別なんだと思った」と復活を支えた周囲に感謝した。演技後半に4回転ジャンプを入れる構成は断念せざるを得なかったが、来季また挑戦する意向を示した。
●「誰とも同じではない唯一の存在、特別な立場の人間になった」(2014/10/3 JOC広報誌『OLYMPIAN』)
ttp://www.joc.or.jp/olympian/2014/db/index.html#page=5
ソチオリンピックの日本人金メダリストは僕一人ですし、19歳の金メダリストというのも僕一人です。
自分の中ではこれまでと変わりないのですが、誰とも同じではない唯一の存在、特別な立場の
人間になったことで、たくさんの人に伝えなければいけないことがあると感じています。
僕自身が話すことはちっぽけなことかもしれませんが、「羽生結弦」という存在がメディアを
通して話すことで、多くの人たちが少しでも東日本大震災のことを思い出し、考えるきっかけに
なればと思います。