羽生結弦発言集

『THE 俺様 発言集』

●「僕はレジェンドになりたい!日本初の五輪金とか、人類初の4回転アクセルが
僕だったらいいな。羽生結弦の名前を歴史に刻みたい!」
羽生15歳の発言。

●「震災が……オリンピックチャンピオンとして……被災地の……オリンピックチャンピオンに
ふさわしい……被災者として……オリンピックチャンピオンの……」
五輪後は【震災】と【オリンピックチャンピオン】の単語を使わない日は
ないのではないかというくらいインタビューで毎回繰り返し口にする。

●「あと1問でお願いしまーす」(2014/3/13 Number)
>5日の本番リンクでの練習後にメディアに囲まれたが、「特に変わりなく、普通通り
>練習しました。あ、あと1問でお願いします」と言ってのけた。普段は
>「メディアの色んな視点から質問がくることで、自己分析が出来るのでありがたい」
>と言うタイプだが、もはや他人の視点など必要ない様子だった。

●「おれなら、ソチは金取れる」高校生時代の羽生結弦が宣言(2014/2/14 NEWS ポストセブン)
ttp://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140214-00000005-pseven-spo
>「“おれなら、ソチは金取れる”とか“高橋大輔(27才)や小塚崇彦(24才)には
>絶対負けない。全盛期の時におれが倒す”とか、かなりのビッグマウスでしたよ(笑い)」

●「アーハッハ!」と高笑い(2014/2/14 東スポWeb)
ttp://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2014sochi/234777/
実はこの日の朝の練習直後、羽生は思いがけない事態に見舞われていた。
ミックスゾーン(取材エリア)を「ごめんなさい」とノーコメントで通り過ぎようとしたその時だ。
スケート靴にブレードカバーをつけて歩いていた羽生が足を滑らせ転倒。
ブライアン・オーサー・コーチ(52)も「アー・ユー・オーケー?」と慌てて駆け寄ったほどだった。
 周囲には嫌な空気が流れたが、フェンス越しに中をのぞき込むと、羽生は倒れ込んだまま
「アーハッハ!」と高笑い。すっくと起き上がると「よし、もう転んだ」と控室へと消えていった。

●「これからは追われる立場になる」(2012年3月 ニースワールド)
地元で素晴らしい演技をしたジュベールよりも高い得点を得て、SP7位から追い上げ
転倒しつつも銅メダルをもぎとった直後のインタビューでの発言。
ロシアのタラソワコーチは「日本のまだ若い選手(羽生結弦)は4位にとどまったかもしれない。
なぜならジュベール選手が全てをやりきったからです」と発言し、ジュベールは
「4位ではあったが3位に値した」と後に振り返るほど順位や採点に疑問が残る結果となった。

●「ここ仙台でみなさんと一緒に頑張りましょう!」(2012/3月 震災特別番組にて)

この1ヶ月半後にカナダに拠点を移しコーチをオーサーに変更。

●「これからも震災の象徴、仙台の象徴として頑張っていきたいです!」(2012/7/28 拠点をカナダに移した後の The ICE 2012 の座談トークにて)

●「今回のようなチャリティーとしての公演を通じて『まだまだ傷跡が残っているんだよ』
と訴えかけて、自分の演技を見て頂いて、そういう面をすこしでも思い出してもらえるように
自分がすこしでも、そんな象徴になったらいいな、と思いながら滑っています」 (2012/7/27
The ICE 2012 日光公演後のjapanskatesインタより)
ttp://japanskates.com/forum/viewtopic.php?p=527#527

●「震災が起きて最初のアイスショーで滑った『白鳥の湖』。(略)その姿が被災した自分の
状況と重なってしまって、気持ちを強く込めて滑れた。演技の後には、観客の皆さんが
立ち上がって、泣いている姿も見えて……こっちも泣きたくなってしまったんです。
気持ちって、こんなにも伝わるものなんだなって──初めて感じることができたアイスショー。
今回の舞台も大切にしたいと思っています」
(2012年9月アオーレ長岡のこけら落としのショーでのパンフレットより)

前日ドタキャン。お詫びの一言も無し。中越地震で被災した地域で、同じ被災者としての
励ましの思いもあったはずだが、この件からは伝わってこない。

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